
「あの日の罵声は、もう思い出せない」
人間の脳は不思議だ。あんなに私を縛り付け、心をズタズタにした言葉たちが、今では霧のようにぼんやりとしている。嫌な記憶が薄れるのは、私が前を向いて生きている証拠だ。
はじめに、明確なセリフは思い出せないけれど、あのとき胸に突き刺さった冷たい空気と、そこから這い上がった22年の足跡だけは、ここに書き残しておこうと思う。
私が小学4年生のとき、家はすでに母子家庭だった。
学校が終わると、ほかの友達が放課後の公園へ遊びに行く中、私はまっすぐ自転車に飛び乗った。向かうのは、5キロ先にある母の知人の家。
当時私たちが住んでいたマンションはペット禁止だった。そのため、飼い猫をその知人の家に預かってもらっていたのだ。
月曜日から金曜日まで、毎日。学校帰りの体で、片道5キロ、往復10キロの道のりを、私はただ必死に自転車のペダルを漕いだ。目的は、猫への餌やり。
━━━だが、その猫は、私が飼いたいと言った猫ではなく、1歳年上の姉が拾ってきた猫だった。
言い出しっぺの姉ではなく、飼育を承諾した親でもない、なぜか小学4年生の私が、その責任をすべて負わされていた。
ある雨の日のことだった。
猫の餌やりを終え、いつものように自転車で帰る途中、雨で滑りやすくなっていた砂利道で激しく転倒した。
ガシャーン、と鈍い音が響く。
自転車のフレームは無残に曲がり、私の右ひじと右足からは、止めどなく血があふれていた。雨と血が混ざり合って足元を赤く染めていく。痛くて、寒くて、しばらくその場を動けず泣いていた。
そこへ、通りがかった1台の車がスピードを落とし、運転席の人が窓を開けて声をかけてくれた。
「大丈夫?送っていくから車に乗りなさい」
普通の子なら、救われたと泣きついただろう。
だけど、小学4年生の私が真っ先に思ったのは、自分の体の心配ではなかった。
『他人に迷惑をかけたら、あとでお母さんに怒られる』
恐怖が全身を支配し、私は血を流しながら、「大丈夫です、歩けます。」と必死に拒絶した。他人の親切を受け入れることすら、私にとっては「恐怖」だったのだ。
結局、「その足で歩いて帰るのは危ないから」と強く説得され、私は、この人と離れた後の恐怖に怯えながら、車に乗せてもらい、家まで送り届けてもらった。
帰宅し、怪我をした私を見た母は、親切に送ってくれた車の人へ丁寧にお礼の言葉を述べた。
そして、笑顔でこう付け加えたのだ。
「すみませんねぇ。この娘、本当に猫が好きで、自分から進んで餌やりをしに行くんですよ。」
その言葉を聞いた瞬間、私の心の中で、何かが冷たく凍りついた。
(嘘…つきだ)
私がどんなに必死でペダルを漕いでいるか。どれだけしんどい思いをしているか。母はすべて知ってて、平然と嘘をついている。
他人の前で、いや他人だからか「良い母親」を取り繕うために、私の痛みを、私の苦しみを、すべて『この娘のワガママ』にすり替えた。
この時だ。私が母に対して、言葉にできない強烈な「違和感」を覚えたのは。
「理不尽だ」「ずるい」「しんどい」
そんな当たり前の子供の感情は、あの家では、ただ踏みにじられ、そんな感情など私には存在しないことにされていく。
私はこの日を境に、自分の心を少しずつ、誰の手も届かない深い場所へと隠すようになった。
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➡【第2話】奪われた思い出と、15歳の工場勤務。