
新しいバイト先には、いろんな環境で育った人たちがいた。「仲間」として打ち解けるのに、時間はかからなかった。
夕方から深夜までの昼夜逆転生活。まかない弁当とカロリーメイトとお茶が主食の毎日。仕事が終わり、帰り道の自販機でカロリーメイトを買って食べるのが、私の1日の終わりの儀式のようになっていた。
お金も自由も居場所も手に入れ、ずっと息がしやすかった。自分で生きている実感があり、毎日充実していた。
家を出て半年が過ぎたころ、ふとお姉ちゃんから渡されていたメモの存在を思い出した。そこには姉の連絡先が書かれていた。
思い切って連絡をし、後日お姉ちゃんを私の部屋に招いた。
お姉ちゃんは、あの夜のことを話してくれた。朝帰宅した母が心配して近所を探し回ったらしいこと、知り合いの人も駆けつけ同じように探したらしいこと。私はそれを「らしい」と、まるで他人事のように冷めた気持ちで聞いていた。
「お願い。お母さんに連絡とってあげて。心配してるから」
お姉ちゃんに懇願され、私は少し躊躇した。だけど物理的な距離ができ、私には自分の住処がある。「帰る場所がもう一緒じゃない」という事実が、私に母と会う覚悟を決めさせた。
指定した大型商業施設。当日、母は私を見つけるやいなや突進してきて私の頬を激しく平手打ちした。
「何しとんねん!心配かけさせて!」
一つ屋根の下にいたころから、気が済むまでの往復平手打ちは日常茶飯事だった。手を挙げられることに何の抵抗もなく麻痺していたわたしは、うずくまるほど蹴られないからよかったとさえ思っていた。心を無感情に保ち、瞬きもしない。そんな私の反応を見て、母にとっては、叩き甲斐もなかっただろう。
それよりも、休日の商業施設で、周囲の痛いような視線に晒されることのほうが圧倒的に恥ずかしかった。
「お前のせいで生活苦しくなった!お前が出ていったせいで借金してる!責任をとって借金払え!」
母は周囲に聞こえるような大声で私を罵った。
今ならわかる、その言葉は100%母の言いがかりだと。だけど当時の私は、まだ母の呪縛の中にいた。
『私が家を出たせいで、幼い妹、家族を困らせてしまった。急いで責任をとらないと』
そう思い込まされてしまったのだ。
クレジットカード2社、約90万円。
家族が使用している車が劣化により調子が悪くなり買い替えた中古車代、約110万円。
月々の仕送り、毎月10万円を送り続けた。
それに加え、毎年の家族旅行に行くときは、さらに多めにお金を渡した。自分が身を粉にして働いたお金は、容赦なく母の元へと流れていった。
30歳を迎える頃まで、その仕送りは続いた。
途中で母が交際相手と同棲を始めたのを知り、「もうパートナーがいるのだから、もう仕送りしなくてもいいよね?」と聞いたことがあった。けれど母は「もう少し力を貸してほしい」と言った。結局、減額して月々5万円を送り続けた。
お金でしか繋がれない関係。
私たちは「家族」という形をしていても、お互いを思いやる「核家族」ではなく、ただ都合良く利用される「核個人」としてしか存在していなかった。
━━家族ってなに?親ってなに?
他人のほうが親身だよ、私をよっぽど心配してくれてるのに。
かつて母が怒っている時に「あんたは、何を考えて生きてるの!?」と問い詰められた言葉があった。
私は心の底から「私は普通の女の子になりたい」と答えていた。
自分の頭の中で、ひねり出せる精一杯の言葉だった。
自分の感情を持ち、言葉を声として解放できること、お小遣いを持って友達と出かけたり、笑い合うこと、そんな「普通」が欲しかった。それが、あの家での私の心の叫び、最初で最後の小さな反抗だった。
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➡【第5話】誓約書と、昼間の夜逃げ。